神様は愛するご自分のぶどう(私たち人間)を超えた日当たりの良い山腹に移し植えられ、私たちが愛の実を結ぶほどに成長するまで責任をもたれる。土を掘り起こし、小石を取り除き、垣で囲み、畑荒らしから私たちを守るために物見やぐらを建て、すぐれた甘い赤いぶどうの実るのを楽しみに待っておられる。
しかし、私たちは独立した一本のぶどう樹ではない。キリストという神様みずからが手入れなさった欠陥のない完全なるぶどう樹の幹に接ぎ木された枝となるのである。キリストにつながっていなければ私たちだけでは愛の実を結ぶことができない。実を結ばない野生のぶどう(本能のままに生きる人間)はモミ殻のように審判の炎の霊息に吹かれて焼き滅ぼされる。私たちは神様のみ手に我が身を委ねて、刈りこまれ手入れされ、キリストの幹から聖霊という養分を絶え間なくいただいて、愛の実を結ぶ任務を負っている。