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惠泉塾前史~絶信の信

(ルカによる福音書8:40~56

1. 頭の信仰

ユダヤ教の会堂は礼拝所であると同時に学校、公会堂、町役場でもあり、その長老は文官でありながら公共倫理の判事でもあり、尊敬され、裕福でした。ヤイロはユダヤ教の10人の長老の中から最高有力者として選ばれる会堂管理人でした。

2. 私の信仰の破綻

苦悩するヤイロの耳にイエスの噂が届きました。彼は自分の誇りをかなぐり捨て、ユダヤ教が反感をもって敬遠していたイエスに一縷の望みを託し、すがろうと決意しました。彼が民衆の噂どおりの偉大な預言者ならば、娘を治すことができるに違いない。ヤイロは歓迎の群衆をかき分けてイエスの足元にひれ伏し、今すぐ我が家に来て下さい、娘が死にそうなんです、癒して下さい、一刻を争います、と必死に哀願しました。

イエスがその熱意に応えてヤイロの家に向かおうとすると、群衆が押し迫って容易に進めないうえ、12年間長血を患っていた女がイエスの足を留め、時が徒に費やされます。

ああ、果たせるかな、苛立つヤイロに、家からの使者が娘の死を知らせてきました。万事休す。彼が希望の綱を手放しかけた時、イエスが言われました。

「恐れることはない。ただ、私を信じなさい。そうすれば、娘は助かるよ。」

 

3. 圧倒的な驚嘆

ヤイロはイエスに言われるまま失意のうちに家路につきました。葬式の笛吹や泣き女を外に出し、近親者と祈れる者だけを招き入れて場を整え、「娘よ、起きなさい。」とイエスは命の言葉をもって命じなさいました。すると娘の霊が戻って、娘は即座に立ち上がったのです。健康が回復して空腹を訴える娘にイエスは食事の用意をしてあがるように指図されました。ヤイロは驚嘆しています。命がある間は神に希望があると思っていた自分の信仰の小ささに気づかされ、計り知れない神の偉大さに圧倒されています。“私の”信仰という限定を粉砕されたこの“圧倒的な驚嘆”の中に本物の信仰があるのです。