準備祈祷と賛美の歌声に聖堂が満ちた後、物音ひとつしない、しんと静まりかえった中から、この日も実に感動的な礼拝が捧げられた。司会は山崎倫子姉だった。
私達は、毎週欠かさず黙々と「祈りの家」の掃除をしてくれる彼女の姿を見ている。仕事が忙しくて掃除の時間を充分確保できないことが彼女にとって苦痛であることも知っている。しかし、彼女が掃除の大嫌いな人だったとは思いもよらなかったので、主への愛の故に喜んで掃除に勤しむ人に変えられたという証しを聞いて本当に驚いた。
職場が変わって、仕事がきつくなった上に、それまで神様のために聖別していた土曜日の休暇が無くなり、職場で疲れ果てて「祈りの家」に来ることさえ危ぶまれる時、「どうして主はこんな私に合わない職場をお与えになったのですか」とつぶやきつつ、いつもの習慣で自然に足が「祈りの家」に向いてしまって、近くまで来ると、不思議な雲の柱を空に見、「これが私の意思だ。」と神様が言っておられるように思われた。
「祈りの家」に着いて、二階の和室にへたりこんで立ち上がる気力もなく、誰に助けを乞うこともできず、「主よ、あなたのお喜びのために働く力を私に与えて下さい」と主の憐れみに泣いてすがると、不思議な力に満たされ、我知らず立ち上がって働き始めていた。手を休めて、一階の事務室の窓から裏山を眺めると、たとえようもない麗しい鳥のさえずりが聞こえ、それが主の慰めに満ちたみ声に響いて、その瞬間、時間が止まったように感じられ、自分がここで雑巾を持って、大嫌いなはずの掃除を喜んでしている不思議さに打たれ、内から感謝の涙が吹き上げて来た、という。
てきぱき手際よく働くことが不得手で人一倍時間がかかり、日曜の午前中だけではとても満足な掃除ができず、大恩ある神様に申し訳ないと心苦しく、自分も欲求不満になり、つらい、つらい、と思っていたが、最近、若い姉妹達が、時には彼女より早く「祈りの家」に来て自発的に掃除を手伝い始め、明るい笑い声や楽しそうな囁きが漏れ聞こえるようになった。それのみか、長い間祈り求めていた土曜の休暇が彼女にも与えられるようになり、心行くばかり掃除ができる、嬉しくてたまらない、という。
彼女は神様に捧げた“聖なる土曜日”に休めない職場には勤めたくないと思った。勤めざるを得なくなった時、土曜日、職場がひけてから「祈りの家」に来て、夜遅くまで掃除をした。私達が彼女の体を心配して、夜遅くの奉仕をやめさせると、泣きながら服従しつつ、今度は日曜日の朝早く来て掃除に励んだ。彼女の証しは、そうした追い詰められた状況の中で起きた“恵みの出来事”だった。主は聖なる熱意に燃えた魂のためには、こんなに素晴らしい慰めを与え給う。主をほめたたえずにはいられない。