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惠泉塾前史~聖霊に満たされよ

主なる神が世の罪を裁く≪終わりの日≫が迫っている。昔、救われるものは「ノアの方舟」に入り、あるいは「傷なき子羊の血」を玄関の柱と鴨居に塗った。

今、救われるためにはどうすべきなのか。

看守が「救われるためには何をしなければなりませんか。」と尋ねたとき、パウロとシラスは「主イエスを信じなさい。」とだけ語った。またロマ書10章9-10節には「自分の口で、イエスは主である、と公に言い表し、心で、神がイエスを死者の中から復活させられた、と信じる(その真理に心服する、より頼む)なら、あなたは救われる。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる。」とも書いてある。そして、更にコリント前書12章3節には「聖霊によらなければ誰もイエスは主である、ということができない。」エペソ書1章13節には「あなたがたは福音を聞き、信じて、約束された聖霊で証印を押された。この聖霊が私たちが御国を受け継ぐための保証である。」と書いてあるから、救われるために我々が為すべきことは、先ず福音を聞き、次に心に福音の真理(イエスの十字架による罪の贖いと永遠の命の約束)を受け入れ、さらに、聖霊を受け、聖霊によって「イエスは主である。」と公に言い表すことである。我々が好むと好まざるとに拘わらず、これが神の定めたもうた「救いの原則」である。

では、いかにして同時代の仲間たちをこの確実な「救いの囲い」の中に招き入れ、恐るべき永遠の滅びを免れさせることが出来るのか。

「父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。あなたがたはまもなく聖霊によるバプテスマを授けられるから。聖霊を受けなさい。あなたがたがの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、私の証人となる。全世界に出て行って、すべての民に罪の赦しの福音を宣べ伝え、私の弟子にしなさい。」と主は遺言された。復活のキリストのこの促しを聞いた当時の弟子たちは、イエスを救い主(キリスト)として受け入れ、贖罪の恩寵に与かっていたが、それだけでは主の宣教の促しに従う力がなかった。ペンテコステの聖霊の傾注によって初めて燃える火のごとき主の証人にされて、自分の持ち場から始めて、地の果てに至るまで、救いの福音を宣べ伝えることになろう。証人は殉教者とも訳せる言葉だ。当時、証言することは命懸けの行為だった。神が共におられて証言の正しさを証してくださるのでなければ、どうしてこの任務に耐え得よう。聖霊による力がなければ、やがてこの世と妥協せざるを得ず、宣教どころか、ラオデキア信徒のごとく、自分の救いすら取り落してしまっただろう。聖霊無きものはキリスト者にあらずといわれる所以である。