(ルカ福音書第24章13~33)
世間知らずの弟息子が見あやまっていたのは実直な父の生き方の中にある、人間としての基本的な正しい姿、つまり衣食住の為に地道に努力する姿、何より先ず命を支える為の努力を怠らない姿であった。彼は父や兄や父の雇人達の労働で生活を支えてもらいながら、自分だけは快楽ばかりを追求した。そして父らが汗を流して蓄えた財産を自分一人の欲望を満たす為に、まるで湯水のように使い尽くした。
全てを失い、働く場もその日の食事にもこと欠くに至って初めて気づかされたのは、「最低限、飢えをしのぐ為にどうにかしなければならない。それが人間として当然の姿なのだ。」ということだった。
霊の世界も同様である。日々に聖書を学び朝に夕に祈る実直な信仰生活は魂の命を養う生けるマナを拝食するのに欠かせない、人間としての当然の基本的な姿なのに、何と多くの信徒が怠っていることか。