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11月 “良き訪れ”は時空を越えて ~ 日本聖公会からニューヨーク惠泉塾へ ~

野見山惠美さんが水谷惠信(当時)惠泉塾塾頭と初めて出会ったのは、2013年7月に旭川で行われた「第57回全国保育者大会」(日本聖公会保育連盟主催)においてでした。講師に招かれた水谷先生の「自然から汲み上げる命の輝き」と題する講演を聴いて感銘を受けた惠美さんは、当時、聖公会芦屋聖マルコ教会員、芦屋市の愛光幼稚園の園長先生でした。
マルコ教会には畑野榮一兄がおられました。小児科医だった彼はとうちゃんと呼ばれて慕われていたそうです。彼はまた惠泉塾の良き理解者で、『壊れた私 元気になった』や『手渡そう 子どもに生きる力』など水谷先生の著書をたくさん購入されては教会員に配り、惠泉塾という信仰生活共同体を広く紹介してくださった方です。
教会教派を越えて、この愛の実践道場の働きに注目し、魅了され続けた畑野先生ご自身、やがて「波止場便り」への執筆を引き受けてくださり、最後まで惠泉塾ファンとして2017年1月、95歳で天に召されました。惠美さんは畑野先生の紹介によって「波止場便り」34号(特集:今、子育てが楽しい)に寄稿してくださったのです。
そのような繋がりの中で2018年3月、惠美さんはご主人の海外赴任に伴って幼稚園を退職、アメリカのシカゴに移られることになりました。「波止場便り」への執筆がきっかけで惠美さんとメールのやり取りをするようになった編集部は、慣れない海外生活を始めたばかりの惠美さんに文泉書院の本を贈りました。その「波止場便り」38号には『新版 壊れた私 元気になった』の出版記念会リポートが掲載されており、惠美さんはその生き生きとした証に引き込まれたそうです。さらに、「この本は畑野のとうちゃんが私の夫に手渡してくれた最後の本です」と、メールでご主人のことを証ししてくださいました。
数年前、気の優しい真面目な仕事人間だったご主人が職場でパワハラのような目に遭い、それが数年続いたことがあったそうです。同じ頃、教会でもある問題で兄弟から個人攻撃を受けるという事態が重なり、精神的にかなりのダメージを受けられたそうです。が、愚痴一つ言わず、弱音を吐くこともなく平然と過ごしておられたご主人でした。それに気づいた畑野先生は、即、電話で相手にきっぱりと「あなたは間違っている。こんなことをしてはならない」と告げ、ご主人に対しては手紙で、「仕事でも大変なあなたに教会のことをこれ以上お願いすることを申し訳なく思うが、私はどうしてもあなたに教会を支えてほしいのだ」と書いてくださったそうです。そして『壊れた私 元気になった』をくださったのです。
「夫は平然としていると思っていたけど、もしかしたら壊れる寸前だったのかもしれません。とうちゃんがそのことを感じて『神様から離れてはいけない』と手を差し伸べ、共に祈ってくれたのではないかと思います。この本は夫がもらったのだから勝手に読んではいけないかな…と思っていましたが、アメリカに来て一気に読み、すべてが繋がった気がしました。そこへ『波止場便り』が届き、出版記念会のリポートがあってなお驚いたわけです。私は夫と共に、改めて神様の福音に出会うためにここに来たのではないかと思っています。」
8月から、惠美さんはニューヨーク惠泉塾の平野博文さんご夫妻とスカイプで繋がっています。聖書の学びの輪に加わり、何とご主人と共に聖日礼拝にも参加されているそうです。
「朝8時半から2時間、この地に来て2ヵ月後にこんなすばらしい恵みの時間をいただけるなんてびっくりです。聖書の学びがこんなに楽しいことだとは思いもよりませんでした。畑野榮一先生の熱心な信仰のお陰だと、天国のとうちゃんに感謝です。」
今もなお福音は時空を超え、教会教派を超えて真理に渇く人々に宣べ伝えられています。