ニュース&トピックス

1月 去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの   高浜虚子

謹賀新年。2016年は札幌キリスト召団にとって34年目の幕開け、またその働きから生まれた惠泉塾は20

年目に入った。月刊誌「百万人の福音」に、惠泉塾の働きが札幌農学校のクラークの働きと共に9頁にわたって紹介されたのは、1998年のことであった。この記事は、癒しの面だけでなく、教育の面、人生の学び舎の面が強調され、人生いかに生きるべきかに悩む人々の集う塾になることが期待され、多くの人々に神の働きを知っていただくために大変ありがたい報道となった。 惠泉塾を始めたばかりの頃、水谷先生は、日本中に悩み苦しむ人が満ち溢れていたとしても、一体誰が北の果ての小さな町に惠泉塾があることを知るだろうか、と思ったそうだ。不思議なことに、クリスチャン新聞に続いていのちのことば社がその役を買って出てくれ、惠泉塾が「札幌バンド」とつながっていることを宣伝してくれた。水谷先生は札幌農学校を全身とする北海道大学の出身で、その前、京都に学んでいたときに出会った恩師小池辰雄は、内村鑑三最晩年の弟子であった。  ウイリアム・S・クラークのもたらした聖書と自然による教育的感化を受け、「イエスを信ずる者の契約」に署名した札幌農学校の学生集団は札幌バンドと呼ばれる。内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾を中心とする青年らの活躍が注目され、日本のプロテスタント発祥の地の一つに数えられている。1882年、彼らは「札幌独立基督教会」を設立してその教会員となるが、「札幌キリスト召団」が設立されたのはそのちょうど100年後に当たるのである。 内村鑑三らの札幌バンドが独立教会を生んだように、小池辰雄の群れである召団は水谷先生を通して惠泉塾を生んだ。札幌バンドは互いに愛し合う人の群れとなり、愛の実践現場、惠泉塾へとつながっている。いのちのことば社は「百万人の福音」でそのように紹介し、この働きはその後、全国各地へ広まることになった。そして20年経った今、この良き訪れ、札幌キリスト召団の福音はさらに全世界へ広まろうとしている。ついに扉が開いて救いの光がさし入るときが来た。神は唯一つにして全宇宙を支配するものであると言い、この歴史を導いておられるのは実に神ご自身だ!と言わざるを得ない。ちっぽけな私たち一人ひとりはその御業の前にひれ伏し、畏れかしこみつつ付き従っていく他はない。 2016年は1876年に札幌農学校が開校となってから140年目に当たる。まことに生きて働く神ご自身が今年、どのように歴史を刻まれ、導かれるか、大いに期待し待ち望みつつ。 全地よ、神に向かって喜びの叫びを上げよ。御名の栄光をほめ歌え。栄光に賛美を添えよ。御業はいかに恐るべきものでしょう。御力は強く、敵はあなたに服します。全地はあなたに向かってひれ伏し、あなたをほめ歌い、御名をほめ歌います。(詩篇66篇より)