3月1日、開塾式に始まった2015年度の惠泉塾活動も、11月29日の閉塾式をもって、終わりを迎えた。
変化の激しい神の現実、その只中に置かれて、愛するための神の道具となった信仰の家族たちは、今、どのような思いでいるだろうか。 今年3月の開塾に合わせて茨城県の古河惠泉塾から余市惠泉塾「オリーブの家」で始まった“小さな惠泉塾”へ、実践のために来られた藤沢一さん、久美子さんに胸中を伺った。二人は2012年の1年間、信仰生活と塾の運営を学ぶために余市惠泉塾に来られて訓練を受け、いったん古河惠泉塾に戻られた夫婦である。 「オリーブの家」で始まった“小さな惠泉塾”は、初心に帰って、小集団で個別の関わりを必要とする人を迎え、水谷先生夫妻が直接指導に当たられた「元祖惠泉塾」である。3月以降、伝道旅行の多い水谷夫妻に代わって、余市で再訓練に挑む藤沢夫妻が陣頭指揮をとる日々が続いた。「今年、私たちがさせていただいたのは塾生のお世話であり、教育ではない。人格の部分での教育はできなかった」と、一さんは謙遜に振り返る。夫婦が考えていた惠泉塾活動に対する認識が狭かったこと、自分たちが設けた壁を突き崩さねば、という思いにさせられたことなどを、次のように語ってくださった。 「与えられた隣人、愛する対象は、これまでに出会ったことのないケースだった。惠泉塾に生きて働く神が、ご自身、歴史を編み出そうとしておられる。何があったとしても、神はそのできごとから歴史を紡いで行かれる。何があっても大丈夫。たとえそれが未経験のことであっても『人を立て上げる』に繋げることが、神にはできる。用いる方法は何でもあり!なのだ。その人の個性に合わせて何でもやる、というスタンスに自分たちはなかった。人を生かそうとするときの本質的な姿勢はそこにある!と気づかされた。そのとき、水谷先生は塾生に、その神のスタンスで向き合っている、と分かった。そのとき、『何でもあり』の神の奥深さを受け取った、と思った。受け取ったが、それに対応できるかと言うと、何もできない。手も足も出ない、達磨状態の自分たちがいた…。」 藤沢夫妻が代表して発言されたが、この言葉は教育に携わろうとするすべての信仰者に当てはまるのではないか。どうすることが隣人を生かし、立て上げることなのか? どうすれば隣人の心を掴んで信頼関係を築き、人格の触れ合う感化力を及ぼすことができるのか? 隣人の前に為すすべなく立ち尽くす体験は、まさに自力を剥ぎ取られ、神の御前に完全に服するしかない姿だからだ。 厳しく叱られた後、こわばった心に語りかけられた一言葉で、「先生は私に真正面から向き合ってくれた」と気づいて魂が目覚め、先生への信頼が芽生えたという塾生がいる。そのときその場にいた藤沢夫妻は、神のドラマに立ち会えたのだ。共苦労することでしか見せてもらえない神の現実がある。目が開かれなければ何も見えない惠泉塾という神の活躍舞台がある。真摯な求道は、狭い門を通ってからもさらに真直ぐ神ご自身へと続いている。