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5月 古くて新しい真理

世間が教える常識的な考えは本当に正しいのだろうか? 私たちが暮らす社会はこれ以上良くならないのだろう

か? 私たちはこのままで変われないのか? 諦めるしかないのか?  いや、そんなことはありません。私たちは世間の教えと異なる、古くて新しい「救いの真理」を知りました。それをぜひみんなに知ってもらいたい。特に今、苦しんでいる人に知ってもらいたい、と願っています。  大前提は「私たちは神が造った世界で暮らしており、私たち自身も神の作品である」という聖書の主張を受け入れることです。  それを認めるならば、次のことが当然のこととして分かります。  この世界の主人は神である。神の定めた「法則」に従えば、エデンの園で暮らしたアダムのように無理なく平和に暮らせるが、「法則」に逆らえば、それが神を敵に回すことになり、楽園を追放されて、生活のために額に汗して働くことになったアダムのような、生きづらい生活を余儀なくされることになる、ということです。  神の定めたその「法則」は聖書に書いてあります。それは、神の被造物は全て「自己愛」を捨てて「神と隣人を愛する」ことに徹する生き方をする、ということです。(中略)  しかし、実際に聖書の教えどおりに愛そうとすると、容易に愛せないことが分かります。私たちは「自己愛」が強すぎて、たとえ好きな相手の為であっても、自分を犠牲にすることが出来ないからです。生まれながらの私たちの中には「自己犠牲を伴う愛」は存在しないのです。  ここでいう「自己愛」とは「自分の欲望を存分に満たしたい」という貪欲のことです。  欲望そのものは、むしろ必要な場合もあって、必ずしも悪いものではありませんが、限度をわきまえないと、醜い争いを生みます。  また、欲望には麻薬性、中毒性があって、酒、賭け事、色事で失敗する人がいつの時代にも後を絶たないように、欲望に気を許すといつしか理性が麻痺して制御が効かなくなります。今の世の中は「欲望に気をつけよ」とは教えていません。むしろ、あらゆる手段を講じて人の欲望を刺激して、購買力を高めることが大切だ、と叫んでいます。  (この文章は「札幌キリスト召団 イースター伝道集会」で、水谷幹夫牧師が伝道集会の骨子をトラクト風にまとめたものの前半部分です。後半は来月に紹介します。)