「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であ
って、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミア書29:11) 2016年6月11日、「惠泉塾20周年記念式典&コンサート」が行われ、式典の冒頭、水谷幹夫塾頭が挨拶に立ち、次のように話された。「惠泉塾が生まれて20年、今年成人式を迎えます。大人になった惠泉塾はこれから自らの責任において行動しなければなりません。父親はもう出てきません。独り立ちして、結婚してください。子どもを産んでください。神様に喜ばれるような信徒を、たくさん産んでください」。そして、四つの感謝を挙げた。一つ目は、惠泉塾が20周年を迎えられたことへの感謝。二つ目は、20周年を迎える日まで夫婦揃って健康が守られたことへの感謝。三つ目は、生演奏の魅力を教えてくれたユーオーディア・アンサンブルへの感謝。四つ目は、最善最強の応援団である余市農協への感謝。 感謝は神様への賛美となり、祈りとなって溢れ出す。祈りは神様のしてくださった出来事から生まれるものだ。それは、人間的に見ると好ましいできごとばかりではない。しかし、少しも最善に思えないことであっても常に感謝し、賛美する。主は「遠い先、あなたは恵みを受けたと思うでしょう」と言われるが、現実にはひどい話だと思われるようなときもあり、恵みに辿り着くまでのプロセスは棘の道、苦難の道である。しかし、エレミア書の主の御声に聞き従ってやってみた。すると、何と20周年である。誰からも善い仕事をしましたね、と言われる。神様が偉大なことをなさったのだ。それは、ずっと先の、遠い向こうにある出来事かもしれない。それを先取りして神様を褒め称えつつ前進するのだ。感謝と賛美と祈りによって惠泉塾はここまで来た。夏期聖会・朝のデボーションの中で、水谷先生はそのように語られた。今年の聖会テーマも20周年に相応しく「賛美と祈り」。 神の秘められた計画、「互いに愛し合って一つとなる」ことは惠泉塾の理念であるが、これを共同生活の中で実践することにより、その成果としての惠泉塾20年がある。幾多の命のよみがえりを私たちはここで見た。5000年来受け継がれてきた古い聖書の価値観が、この日本で息を吹き返した。驚くべき神の出来事が小さな田舎町、余市から世界へ発信されることを、余市農協はまるで自分のことのように喜んでくれる。その源は我がふるさと余市だ!と言って喜んでくれる人たち。20年前には考えられなかった地域の人々の反応だ。かつてはこの生活共同体を警戒し、排斥していた町民も、今、私たちの存在を「助かる」と言ってくれるようになった。召団の存在は余市町の大きな光となっている。 賀川豊彦が創設した農業協同組合の中で、水谷先生はこれからもますますクリスチャンとしての力を発揮したい、と抱負を述べられた。