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10月 プルーンのたわわに実る 生きてゐる

 余市豊丘に実りの秋が来た。果樹園のりんご、梨、葡萄、プルーン、野菜畑の大根、人参、南瓜、白菜、レタ

ス、キャベツ…と、厳しい冬の訪れを前にして、豊かな美しい実り溢れる光景が広がる。また、現在、作物と同時に魂の刈り入れのとき、収穫どきでもある。というのも、10月13日(月)、余市惠泉塾を舞台に、北海道伝道集会が行われるからだ。 惠泉塾18年の実践報告は、神の活躍されている舞台ドラマのストーリーの展開でもある。 そして、この舞台は、育てなければ滅びる運命にあるという。育ててくださるのは神、私たちは、総力を上げて応援する必要がある。邪魔にならぬよう、脇に退いて王なるお方に座を譲り、影で一生懸命働いて支える黒子役に徹するのである。そのように、この群れが地上平和の地下水となるとき、神は喜んで、ますます堅固な霊的建物を建ててくださるだろう。この見えざる世界の推進力によってしか、惠泉塾は拡大されない。見える現実的、人間的努力によっては立ち行かないのである。  次代にこの聖なる事業のバトンを手渡すとき必要なのは見えない教育力、霊的感化力だ。人を引き寄せる神の魅力、それがないと知識や技術がいくらあっても人がついてこない。イエスキリストがどう生きたか、その生き方を真似ること、その言葉をそらんじることが大切である。イエスキリストという土台の上に咲いた花こそ、真の個性である。個性は、真理の土台からずれては真の感化力となっていかない。  使途パウロにはパウロの型があった。「私はイエスに倣う者である」「私に倣う者となれ」と言い切ったパウロは、イエスの型をきちんと真似たからこそ、こう言えたと思う。真理そのものであるイエスキリストに倣ったパウロのように、水谷先生も聖書という型を学んで型どおりに47歳まで生きてきた。47歳で惠泉塾を始めて型を破り、型のない世界に躍り込んだ。すると、他の追随を許さない水谷先生独自の花が咲いた。  いかに生きるべきか、の型をきちんと身につけることこそ、型破りで独創的な人生に導かれる秘訣である。生涯現役とは、次代に聖なる事業のバトンを手渡すという、“後継者育て“の仕事も含まれている。水谷先生の後継者育成は60歳から始まった。この大仕事のために、私たちもまた、先生に倣って総力を上げて取り組みたい。神はそのような投げ出しの魂を最後まで大切に用いてくださるに違いない。埋もれた人材を目ざとく見つけて連れ来たってくださるに違いない。