㈱ヴィタポート「丹波の宿 恵泉」には“社会に影響力のあるクリスチャンを世に送り出す”という目標があり
ます。惠泉塾で元気になった若者が、次に出て行くのは自らが光となるべき社会です。後藤暁生さんは、その丹波で大きく変えられた人です。統合失調症と診断され多くの薬を飲んでいた彼が、忙しい仕事をこなし、部下を育てていくうちについには薬が一錠にまで減ったというのです。ひたすら神様を求めて祈っている彼の姿は印象的です。特にホールに立つ暁生さんは輝いていて、これが本来の彼の姿なのかと思わされます。6月末にはニューヨークへ旅立ちました。 「人は変わる!」私は暁生さんを見て確信を持ちました。丹波の宿から、第二、第三の後藤暁生を送り出すのは夢ではないと思います。丹波の宿の構成メンバーは現在8名。年齢も個性もさまざまですが、一致しているのは老いも若きも「この信仰にたどり着いた」という点です。そして、“人生の学び舎”である余市惠泉塾で信仰の基礎を学び、今は実践現場に置かれているというところです。 聖書に基づいた生活は朝4時の学びから始まります。この朝ごとの命を汲み上げる時間が私たちにとって最も大切なときであり、前日どんなに仕事で遅かったとしても、疲れてヘトヘトであっても、2時半には起き出して神様の前に出るのです。余市惠泉塾の礼拝堂にあったあの空気が今、丹波にも流れています。「何としても、まことの命をいただかなければ今日という日を生きられない!」という必死さです。神様と私。短いけれども「神様!」と祈れる恵み。神様を中心に皆の心が一つになる時間でもあります。それから、ミーティングをして1日の流れを皆で確認し合い、神の命をいただいて、神が送ってくださるお客様を神の活躍舞台にお迎えするのです。身を引き締めての仕事の始まりです。 丹波の宿では信仰も生活も仕事も一緒です。どんなことがあっても一つの食卓を囲みます。朝の学びが大切なように、皆で囲む食卓は欠かせません。神様から招かれている愛餐の席でもあるからです。1日3回、私たちは、時間になったら集まって食事をします。当たり前と言えば当たり前の日常です。そんな一日一日の繰り返しの中で、気がついてみると、一人ひとりは神様によってつくり変えられています。 丹波の宿は本当に戦場のようです。甘えは許されません。そして、この職場は互いが互いを育て合う場です。先輩が後輩に、「生きることにもっと真剣になってほしい」と涙ながらに訴えることもあります。信仰の家族として、愛する娘に何とか分かってほしいという必死さがそこにはあり、皆が泣いています。それは感動的な場面でした。その後輩は、この日を境に変わり始めました。スピード感のある仕事と密な人間関係の中で、一人ひとりは必死にならざるを得ません。立ち止まることのない神様の活躍舞台で、与えられた課題に葛藤しながらも取り組むとき、私たちは希望を見いだしていくのだと思います。 本当に、現実だけが人を変えられるのだということを、ここで実感する日々です。 (9月に行われた「介護・看護セミナー」での根本八重子さんの証言より)