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11月 「神のものは神に返しなさい」 ~ 2012年水谷先生の礼拝メッセージより ~

「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 (「マタイによる福音書」22:21)

  イエスを罠にかけようとするファリサイ派の人々が、ヘロデ派の人々と結託してイエスに尋ねた。「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」。イエスは、皇帝が定めた制度には従うべきだとして、「銀貨は皇帝のものだから皇帝に返しなさい」と答えた。つまり、ローマ帝国への納税義務は果たせと言う。しかし、神にも納税義務があるとして付け加えた。「神のものは神に返しなさい」。 命は神のものであり、私たちの人生は神の支配下にある。この大前提の下に信仰生活があるか。「神には何でもできないことはない」と信じているなら、信仰は実生活を支配するはずだ。だから、生活は信仰によって変えられ、変えられた生活が問題を解決する。信仰即生活であり、信仰と実生活は一枚看板、分離すべきではない。 しかし、多くの教会は信仰と実生活とはルールが違うから別々にすべきだと考え、二つを分離しているようだ。イエスを罠にかけようとするファイサイ派の人々も二枚看板で生き、信仰と生活が遊離していたのではないか。しかし、二枚看板の生活に神の力は働かない。彼らは神の力を知らず、生ける神を知らず、イエスの内に神を見ることができなかった。イエスを只人だと思うので嫉妬に駆られ、罠にかけて殺そうとする。まことに的外れな盲目の案内人であった。 皇帝への納税が合法か違法か、二者択一を迫る彼らに、「そうではない。一切は神のものだということで決着がつく」とイエスは答えた。この世のルールには従えと教えながら、本質において、人生は神のもの、皇帝もローマ帝国も神のものであり、神の支配下にいるのだから、神を無視して人間の都合のよいように支配してはならないと教える。 ローマ帝国も日本という国も、国家は神に対して責任をとらねばならないとイエスは語る。では、この日本をどうやって神の前に執り成せば良いのか…。私たちは自分の人生だけでなく、この時代と社会に対しても「神のものは神に返しなさい」と重たい要求を突きつけられている。この言葉にもっと自覚的にならねばならない。 「神のもの」という言葉は実に大きい。神のものを壊れたままお返しするのではなく、ちゃんと修理してからお返しする。そのために心を砕いて、みんなが全体のために働く。どう生きることが本当か、教えられる。人間はこんなふうに暮らすべきではないかと提案される。それが惠泉塾だ。課題はたくさんあるが、神のものは神にお返しするその精神で、いかに神に是認していただけるか、喜んでいただけるか、どこまでそれができるか、日々限界に挑戦している。 神のためにと心一つに助け合って生きていく、そんな共同生活が長く続くためには、そのスピリットが確実に継承されねばならない。まずは「私の人生はあなたのものです」と、私自身を神にお返ししよう。そして、この群れが神に喜ばれる宝となり、一人ひとりが目覚めてこの世を神にお返しすることができるように、と祈ろう。