「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与えると万軍の主は言われる。」(ハガイ書2:9)
これは2019年2月、水谷幹夫先生を迎えての朝の聖書の学びで語られた御言葉でした。また、それについて先生は次のように語られました。「今年、上田で始まったことは、今までとは質が違う。それはこのハガイ書で語られている神殿の違いと同じだ。ここで語られている『昔の神殿』とは、かつてのエルサレム神殿のことであり、それはイスラエルにとって神への信仰のシンボル、権威と力の象徴でもあった。しかし、『新しい神殿』とは、完全なる神様の直接統治のことであり、純粋なる霊的神殿のことである。去年までの上田はまだ人間的な力に頼れる部分があったという点で、昔の神殿に似ている。しかし、今年の上田は、人間的に全く力がない状態から始まっているという点において、新しい神殿である」と。
イスラエルは、神の民として選ばれ、神様が直接統治される神の国づくりをするはずでした。しかし、カナン征服は不徹底に終わり、挙句、神ご自身ではなく、目に見える指導者としての王を求め、ついには神を忘れた民へと堕落してしまいます。神様は挫折され、涙を流され、その罪をご自身の血によって贖い、全く新しいもの、神ご自身が支配される、本来あるべき神の国を生み出そうとされました。そして、今年の上田がそれだと、水谷先生がおっしゃったのです。
今年は、余市から派遣された信仰訓練生で、当初全く力を失い、一人では何もできなかったMさんがパートナーとなりました。最初から、神様が共にいなければ一歩も立ち行かない状況でした。しかし、確かに神様は共にいてくださいました。そして、今では見違えるような変化を遂げているMさんとの二人生活が与えられています。
ここで起きていることのすべてが、純粋に神様の出来事なのです。目に見える力強い指導者がいるわけでもなく、一人では全くどうすることもできない状態で始まった2019年の上田生活…。そして、その結果、生み出されたのが「長野惠泉塾」だと今、改めて実感しています。誰かの願いでも、力でもなく、ただ純粋に、神様の御思いの実現として与えられた惠泉塾だというほかはありません。この神殿の栄光は、昔の神殿にまさると語られた通りです。霊で始まったことを肉で仕上げてはならない、と神様に促されたような気がします。
昨年11月、上田で行われた「コンサート&メッセージ」の集いは、たくさんの祈りが積まれた伝道集会でした。神様の御心を求めて準備したこの集会で、私たちは「上田に惠泉塾ができます!」と宣言しました。すると、神様は何と1年を待たずに文字通り、実現してくださいました。そのために、私たちが努力したことは、何もなかったのです。場所も建物も、すべて神様が用意されました。上田に、長野に、信州に、神様はご計画をお持ちなのだと思います。
私たちは、ただ、そのご計画の実現のために、惜しみなく我が身を差し出す者でありたいと願っています。