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8月 真理の次ページをめくる ! ~札幌キリスト召団 創立 35 周年の 意義 ~

「司会の私は部屋の片隅で祈ることに専心した。『主を求めてやまぬ魂でこの会場を満たして下さいますように

。主よ、今こそ立ち上がり給え。聖霊をこの場に投じ、充満せしめ給え。我ら切に火を求む。切なる求めに応え給え。』定刻を20分過ぎて立ち上がった。 私は参加者に小池先生の内面史や人となりをゆっくりご紹介するつもりでいたのに、語り始めると饒舌な私らしくもなく、訥々として思いの万分の一も言えぬうちに烈しく内からこみ上げてくるものに引きさらわれて、気づいた時は、『どうか頭を空っぽにして、全ての肩書きをかなぐり棄てて、この福音の中に裸で飛びこんで下さい』と声を押し殺すように叫んでいた。涙は出なかったが私は泣いていた。このカイロスを生かさないでどうする。 私たちは皆この時を一日千秋の思いで待っていた。小池先生はパウロの生の神学を自由につかんで『無の神学』というものすごいものを天から与えられた。今こそ大胆に一切を放下せよ。」 (1982年6月26日 小池辰雄先生を迎えての特別集会 水谷惠信記) この文章は35年前、小池辰雄の宣言によって札幌キリスト召団が設立され、34歳の水谷先生が責任者に指名されたときの記録である。このときから先生は高校教師をしながら無教会的家庭集会を続けられた。やがて、札幌に信仰の拠点「祈りの家」が建ち、宗教法人となった。その後、啓示によって無教会から脱皮して教会化を推進していく途上、再び啓示によって「人生の波止場づくり」を指示された。これが、信仰に基づく人生道場としての共同生活体「惠泉塾」である。 このとき、まさに、水谷先生は「頭を空っぽにして、すべての肩書きをかなぐり棄てて、この福音の中に裸で飛び込んで」行かれた。啓示を受けたそのときがカイロスなのだ。それを生かし、「無の神学」の只中を生きて35年、最近のメッセージで次のように語られた。 「この35年前の文章を読んで思ったことは、『ああ、自分はもうそこにはいないな』ということだ。これは小池先生70歳頃のことであったと思うが、自分も今、70歳に近い。今思うことは、聖書の『真理の次のページをめくったな』ということだ。書斎で神学するところから出て、生活実践することによって聖書の世界を現実の世界として生きている。小池先生が書斎で考えていた世界から始まったが、神ご自身に導かれて35年後、驚いたことに全く違う地平に立っていた。札幌キリスト召団は光を見たのだ。そして、そのまま、闇を切り裂いてひたすら前進すると「かたち」になった。語られていたことが形になり、目に見える現実となり、証しになっている。これは、もう、大変な恵みではないだろうか? 聖書の真理が共同体の中に、見える現実となってここにあるのだ。これがすごいと思う。つまり、35年前よりも今の方が、札幌キリスト召団の信仰が理解しやすいということだ。なぜなら、召団の教えが形になっているから。召団の教え通りに歩いて変わっていく人が何人もいるから。私も変わりたいと願ってここに飛び込んでくる人がたくさんいるから。」 「闇は光に打ち勝たなかった(ヨハネ1:5)」。光は闇の中で埋没してしまわなかった。燦然と輝いて35年、人々を照らし続けたのである。アーメン、ハレルヤ。栄光在主。