写真:現在、ニューヨークで22人家族の一員として暮らす山口朋樹さん(右から7人目)
今回の帰国は一応休暇消費という形でしたが、実際はもう仕事ができないほどボロボロになって上司に辞表を出したところ、辞めないでほしいと引き止められ、仕事を辞めるか辞めないかは休暇消費し終った後まで保留することに同意しての帰国でした。2週間という短い期間でしたが、僕は惠泉塾ですっかりよみがえることができました。
そこで、なぜここでよみがえることができたか、考えてみました。やはり、愛し合う穏やかな空気と大自然での楽しい肉体労働は大きかったと思いますが、僕が辿り着いた一番の理由は、「自由からの解放」でした。
今、僕がアメリカでしている仕事では、好きな時間に仕事を始め、好きな時間に休息し、好きな時間に仕事を終えることができます。与えられる仕事も期日に間に合いさえすれば、好きな順番でしていいことになっています。一見自由な職場のようですが、実際は一日平均200通のメールの処理、プロジェクト10個以上の同時進行を、多いときには一日10個ある会議の合間にしていかなくてはなりません。コロナ禍が始まってからは、特に、休息もほとんどせずに、土日を問わず長い日は一日16時間働くこともありました。そんな中で与えられる「自由」は苦痛そのものでした。自分で時間配分・作業内容を決めて、期日までに仕事が終わらないと自己責任になってしまうので、自分の生活を削って、終わりなく次々と来る仕事を、身も心もボロボロになりながらしていました。
それに対して、惠泉塾では、与えられた仕事を決められた時間までリーダーの指示通りに精いっぱいします。この整った生活リズムで大切にされているのは、自己判断を挟まないでリーダーの指示に従順であることです。一見、惠泉塾は規則が多い場所のようですが、その規則一つ一つには「愛し合うため」の理由があり、それにただ身を委ねることによって僕は非常に大きな安心感を得ました。一緒に助け合う仲間も常に与えられ、自分にできない仕事は要求されない、と、リーダーを信頼できるので、のびのびと穏やかに、落ち着いて仕事に励むことができました。
また、ここで、僕は時計からも解放されました。今の仕事では、一日の仕事内容を6分(0.1時間)単位のタイムシートとして毎日提出します。そのため、仕事中も週末までも、常に時計を見て時間をチェックする習慣が身についていました。惠泉塾では、次の活動に移る前に一度時間をチェックすれば、後は流れに従うだけです。時間に囚われずに「今」だけに集中して作業に取り組むことができます。「自由」に苦しんでいた僕は、この「従順に徹する生活」によって解放され、元気になりました。
同時に、この体験的に学んだ「従順からくる安心感」は自分の信仰生活にも応用すべきものだと気づかされました。やはり、惠泉塾は信仰訓練の場であると痛感します。見えない、あるべき信仰の姿勢を見える形で体験的に教えていただきました。
僕はこれからまた「自由」な世界に戻っていきますが、神に従順であることで安心感が得られるはずです。惠泉塾活動と同じで、神も僕にできない仕事を与えないし、必要ならば、助け合う仲間も与えて下さるはずです。これからは、そこに絶対信頼することを焦点として生活していこうと思います。
また、この2週間の間に、水谷幹夫先生との面談を通して神様から「5年プラン」をいただきました。5年後にはアメリカに惠泉塾ができます。これは神の計画なので、僕ができるとかできないとか、僕の得意不得意は一切関係ありません。
今回、朝の聖書の学びで、旧約聖書の「歴代誌」を通して学んだことの一つは、「神の計画は神御自身が実行される」ということです。僕のいただいた「5年プラン」も神様が実行されます。僕に与えられている課題はこの選ばれた恵みを感謝して受け止め、神のための良き道具になることです。それも、人間的努力をせず、愚かなほどに神を信じ切って。これまでは「愚か」にならないよう一所懸命頑張って生きてきた自分なので、この与えられた課題は難しいものです。それでも今は安心感に包まれています。
でも、この安心感も、見ずして信じたことから来たものではなく、水谷先生のご指導や皆さんの応援、惠泉塾という生きた成功例を目の当たりにして信じた、つまり、先生に重荷を担っていただき、先生の信仰の恩恵にあずかって得た安心感です。次の5年は緊張感をもって生活し、キリストと先生と肩を並べて軛を負えるようになりたいです。そして、5年後に始まる未知の世界へは、見ずして信じて得た絶対的安心の中、跳び込んでいきたいと思います。皆さん、本当にありがとうございました。(ニューヨーク在住 山口朋樹)