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6月 古くて新しい真理(その2)

 すっかり欲望の奴隷状態になってしまっている今の私たちが、自力で自分を欲望から解放して「何も欲しがら

ない」状態にすることは不可能でしょう。まして、自分が損をしてまで相手に尽くす、なんてことは考えられないと思います。無欲になるためには、新しく生まれ変わるほかありません。ここに「信仰」の必要性があります。  「信仰」とは、完全に信頼し抜くことです。徹底的に従順に、忠実に従うことです。もちろん、信仰の対象は聖書が教える創造主なる神です。この神が、聖書によれば、欲望の奴隷状態に陥っている私たちを救うためにイエスをこの世に送って下さった、というのです。  このイエスを信頼して、我を忘れて夢中になってついて行くなら、イエスの生き方に強く感化され、「法則」に従う者にされます。イエスがまさに「法則」そのものだからです。  私たちがこの「法則」に従えば「異なるものが互いに愛し合って一つとなる世界づくり」という「神の天地創造の一大事業」に、その“担い手”として参加することになります。  神の側から言えば、私たち人間の殆ど唯一の存在理由は元来ここにありましたし、神が人間を欲望の泥沼から救い出した目的も、実はここにあるのです。  聖書からこの「真理」を汲み上げ、その「法則」に従って暮らせば、創造主なる神がいつも共にいて下さって、エデンの園の時のように私たちの必要を全て満たして下さるので、私たちはどんな状況の中でも自由に心豊かに平和に暮らせます。これが聖書の語る「福音」です。余市の惠泉塾で暮らしている私たちが、その良い見本だと言えます。  上記の文章は、札幌キリスト召団「イースター伝道集会」で、水谷幹夫牧師が伝道集会の骨子をトラクト風にまとめたものの後半部分です。前半は先月紹介しました。  小池辰雄の信仰から生まれ、どの団体にも属さず独自の伝道活動を展開してきた札幌キリスト召団は、聖書一巻を携え、使徒的信仰に立ち尽くし、命ある福音を保持し続けて、神に導かれるまま、純一無垢な「惠泉塾」という活動を生み出しました。この「古くて新しい真理」を生きて生活する、キリストのエクレシアです。この6月に開かれる夏期福音特別集会のテーマは「時代を執り成す」。これは、1981年12月21日、水谷牧師が札幌の自宅で直接神から受けた“テーマ”だったのです。