今シーズンの惠泉塾活動も残すところあと1ヵ月。4年半の都賀生活を終えて2月に余市に戻った根本綾子さ
んの証言から、“館の小さな惠泉塾”での信仰生活風景を紹介します。 小さな惠泉塾に加えていただき、私は愛することを体験的に教えられています。イエス様が地上生涯の最期、弟子たちを愛し抜かれたことが水谷先生の姿に重なります。私たちも今愛し抜かれ、愛する者になるように、と先生に祈られていることを覚えます。 小さな惠泉塾で先生ご夫妻と一緒に生活させていただいて何よりも教えられることは「愛は人を温かく受け入れる」ということです。受け入れられるとき、魂の底から安心感に包まれます。理屈ではない、先生が御霊の人であるからに他ならない、と思います。 「愛は人を立て上げる」。今、私たちは人を慰め、励ます言葉を語れるよう練習中ですが、実は先生の話こそいつも私たちを慰め励ましてくれることに気がつきます。食卓では伸び伸びと自由に話していますが、先生の語る言葉とその存在とが、食卓の空気を愛という到達点に向かってまとめ上げているのです。 「愛はユーモア」。ある日、丹波の天ぷらのことで、先生はからっと揚がったてんぷらと、しなっとなってしまった天ぷらを身振り手振りで話すので、私たちは大笑い。髪振り乱して物真似する先生を見て「てんぷらの真似までしなくていいのに!」と言いながら笑い転げたのでした。 「愛は真剣に食事を作る」。先生が食事作りに加わらないことは殆どありません。愛するためには自ら作り、味見を繰り返します。その姿は真剣そのもの。朝の学びと変わりません。エプロン、三角巾姿で「今日の献立は何かのう」と言いながら登場。毎朝の味噌汁は先生の担当、スープなどの味付けの最終段階もいつも先生の出番です。炒め物も本当に美味しくて素材がいきいきしています。ある日、スープの味付けで「ちょっとこくが足りない。そうだバターだ! バターある? え、ないの? 籔本君からからもらってきて!」と先生。「え~! わざわざもらってくるんですか?」と私たち。でも先生は社長。香織さんがすかさず「もらってきましょうか?」と言って、あっという間にバターは用意され、美味しいスープが出来上がりました。 「愛は妥協しない」。食卓で香織さんと先生の会話が平行線でいつまでも終わらないということがありました。「先生がそう言ったじゃないですか」「いやそうじゃない」「言いました」「いや違う」―― 私たちは先生を見て、香織さんを見て、また先生を見て香織さんを見て、と会話の行き着く先を見守るのです。お互いに「もうその辺で」ということはありません。どこまでも食い下がる香織さんを羨ましくも思いつつ、一歩も引かない先生の態度に、香織さんを立てあげるためには妥協しないことを教えられます。 「愛は早く寝る」。夕食の「ごちそうさま」が終わると先生ご夫妻はさっと部屋に戻られます。がたがたっと物音が聞こえますが、5分ほどでしーんと静まり返り、あっという間に就寝です。翌朝に向けての戦いがすでに始まっているのです。 一緒に生活することで愛することを身をもって教えられ、愛は観念ではないことが分かります。無に徹し、愛の存在者となった先生に倣いたいと思います。