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惠泉塾前史~中国の友達

9月4日(木)二条市場に買い物に行った時、その近くで遅い昼食を、と仲通りの哈爾濱(ハルピン)飯店という所に入った。客は私以外だれもいなかった。何がおいしいか、と尋ねるとギョウザだと言うので、ギョウザ定食を頼んだ。女主人の日本語が少し妙なので中国人かと問うと、中国残留孤児で7年前日本に来た、という。食事をしながら女主人の身の上を聞いた。8歳の時、親が自分たち姉妹を孫さんにくれてやったこと、すぐに製糸工場で暇なく働かせられたこと、学校にやってもらえなかったので読み書きが不自由なこと、料理人の中国人と19で結婚し、20歳で長女を生んだこと、2男2女全部日本に来ていることなど。話の途中で幼い娘を伴った若い夫婦が店に入って来た。身内のようなので問うと、次女とその婿だ、という。婿は中国人だという。私は日本でどんな仕事をしているのか、と尋ねた。彼は来日して1年4ヶ月で、まだ日本語が覚えられず、仕事にも就けない、という。言葉が不自由だから外に出るのが億劫で、それで日本人の友達も少なく、日本語を使うチャンスがなく、日本語が上達しない。私は即座に日本語を教えてあげるヨ、と言い、先ず職場の先生方と我が家族に紹介し、友人作りの手伝いをすることにした。翌日、午前10時に待ち合わせて、車で東海大四高に案内し、先生方に紹介し、それから校舎内を見せて回り、昼食は我が家でお好み焼きをご馳走した。あまり食が進まぬので、口に合わないか、と聞くと、毎朝9時まで寝ているので、朝食が遅く、まだお腹がすかない、という答が返って来た。奥さんの干秀蘭さんは夜、中華料理店のウェートレスとして働き、婿の李海忠さんは子守りなので、夜型の生活サイクルになっているのだ。若い彼等は日本の経済的繁栄に憧れ、「中国は駄目」をくりかえす。中国で機械修理工だった李さんは日本では職訓で技術を取得し直して働き、末は札幌で、中華料理店を夫婦して経営したい、という。いかに暮らすか、よりもいかに生きるか、の人生論をもっと追求してもらいたいと私は痛感した。