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惠泉塾前史~人格形成

H兄の熱心な祈りによって、6月を目処に中高生会の準備が進められている。彼の御子息、NくんTくんがちょうどそんな年令なのだが、私も自分の子供たちが大きくなったら、子供の霊的教育について、深刻に悩むだろう、と思う。自我に目覚める年ごろは純粋で、本能的に嗅ぎ当てる鋭敏な力を持ちながら真贋(しんがん)を見定める英知が未熟で、気をつけないと、とんでもない方向に突っ走る。本物なら善なるものだけでなく、悪もまた魅力的な存在だから、である。その上、柔らかい心は傷つきやすく、へたなつまずき方をすると立ち直れなくなったりもする。

子供を取り巻く学校や社会が生活環境として劣悪すぎる、という問題も確かにあるとは思うが、時代そのものの流れを変革することは容易なことではないのだから、一方で、現代に責任を問われる“おとな”の一人として変革への努力を怠らぬと同時に、他方で、劣悪な環境に抗し、踏み越えて逞しく生き抜く若人の人格形成のためにも精力を傾注せねばなるまい、と思う。子供の教育は学校に任せる、という親もいるが、私は自分の子供の教育を学校に一任する気は全くしない。基本的にそれは親の責任であるべきだ、と思っている。学校教育が扱うのは人格形成の大根(おおね)はいわゆる生活上のしつけの教育ではない。道徳教育ではない。魂の教育である。魂は霊的な糧以外のものでは育たないようにできている。内側から溢れる活力は生きた魂のあらわれだ。H兄の中高生会の意義もそこにある。