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惠泉塾前史~主に信頼せよ

この世は「天地万物の創造主なる神」を認めない。「人の歴史を支配し、導く神」を認めない。この世は「自分の上に立つ権威」を認めない。この世は『人』を神の座に据え、『欲望』の支配下に身を任せた。その結果、この世に果てしない争いを生じ、人は絶え間ない不安に脅え、健康を損ない、深い闇がこの世を覆うことになった。

私達は闇の世に生まれた。寝ること、食べること、異性を慕うこと等は誰にでもある本能だから隠すことはない、と教えられ、私達はそれを疑いもなく肯定し、恥ずかしげもなく自分の『欲望』を露出し、誘惑し、闇の世を慕った。そうした生き方こそ“気取らない人間らしさ”だと称賛されて。

しかし、それはまやかしだった。『欲望』によって築いた幸せには平安がなかった。確かさを求めて『欲望』は果てしなく増幅せざるを得ないということに気付いたとき、底知れぬ恐れに捕えられた。そこには全く希望がなかった。

私達は泥沼のような『欲望』の呪縛から抜け出す悪あがきを幾度も繰り返したが、そのつど打ちのめされ、引き戻された。私達は自分の力で自分を『欲望』から解放することが遂に出来なかった。闇の世に生まれた私達の内には『欲望』と戦いうる「異質の力」が無かったのだ。

そこに「主の言葉」が臨んだ。それは闇を切り裂く「光」だった。それは絶望の底から私達を立ち上がらせる「力」だった。それは決して裏切らない「真実」だった。それは「変わらない、永遠の愛」に満ちていた。そこに私達は「希望」を見だした。不思議な「喜び」が吹きあげて来た。私達は魂の奥に、真の「解放」を得た。それは、それまで一度も味わったことのない「全く異質の経験」だった。その時、この「言葉」に従って行こうという思いが、私達に自然に湧いてきた。その時から私達の生き方が変わった。救われた者としての「新しい生活」が始まったのだ。

しかし、こうして救いに与かった者の中にも、神に信頼して生きる方法を知らない、という者が少なからずある。魂の救いに限っては「言葉」に従い、その他、生活の糧を得ること、病気を治すこと、進学の悩み、ビジネスの苦労などは『この世の問題』と考え、『この世の知恵』に従う、というクリスチャンが何と多いことだろう。

私達の魂を救い出して下さった主は「全能の神」である。この世にあっても私達の必要の一切を満たすことのお出来になる方である。祈って得られないのは今の私達にそれが不要だからであり、時が熟していないからである。「神の愛」に信頼しよう。神は私達がまだ祈らざる時から、全てその必要をご存知である。何としても自分の願いを適えたい、と小賢しく『この世の知恵』に信頼して、再びこの世に取り込まれる愚に陥らぬように気をつけよう。