惠泉荘に看板があり、そこには「ここは人生の港です」と書いてあります。このことについて初心に帰って確認したいです。惠泉塾は人生の波止場です。「居場所」や「駆け込み寺」ではありません。これはすごく大事なことです。
親元に帰りたくないからここにいるとか、どこに行っても落ち着かなくてここが一番いいとか、そういう風に自分の居場所をここに確保することは許されません。あるいは逃げて来てここでかくまってもらいたいとか、ここはそういう場所ではありません。
ややともすると惠泉塾にあんまり長くいらっしゃらない献身者の方々は、塾生に対して「かわいそうじゃない。あの人にはここしかないんだから、もっと大事にしてあげましょうよ」という気持ちを持つのです。しかし、それはどこか他でやっていただきたいです。ここは駆け込み寺ではないし、居場所作りをするところではないからです。
引きこもりや不登校の人のための居場所作りをいろいろなNPOがやっています。そういうところに行ったらいいと思います。ここは人生の駆け込み寺や居場所作りを仕事にしていません。
「波止場」というのですから塾には明確な目標があるのです。
一つは修理することです。
居場所というのは「このままの状態で、どこかにいられないだろうか」という人の行くところです。駆け込み寺も「問題解決をするのではなくて、直面している嵐を避けて逃げ込む」ためにあるのです。
ここは違います。ここは明確に修理するための人間ドッグなのです。ですから自分は病気だ、自分は壊れている、ということを自覚して初めてここに来るのです。
私は間違っていないけれど社会が間違っているからこの嵐を避けたいとか、あるいは僕は間違っていないけど学校が僕を受け入れてくれないからどこか行くところはないかなとか、そういう人は塾に相応しくありません。ここでは修理を要求します、「あなたは間違っていますよ」と。ですから自分が間違っているという自覚の無い人にとってはすごく居づらい場所です。
二つ目に人生目標の見直しをします。
自分の壊れたところを修理するだけではなく、これまでの人生目標を見直して、本当に今までの生き方でいいんだろうか、ともう一度人生を見つめ直す場所です。ですから人生を見つめ直したくない人がここで暮らすのは針のむしろです。痛くもない腹を探られ、自分が要求していないのに向こうからどんどん要求してくるなど、非常に嫌な場所になります。
ですから惠泉塾は、自分は間違っている、だから直さなければならないと自覚している人が、人生目標をもう一度考え直すことが要求される場所だということです。
ここでは人生目標の見直しを要求された時には、聖書を道しるべにします。マルクス主義で考えるとか、実存主義で考えるとか、ヒューマニズムで考えるとか、世の常識で考える、というのはここでは相応しくありません。そういう人もいていいのですが、塾にはいられません。そういう人はどこか他のサークルでやればよいのです。ここは聖書が道しるべの場所です。ここは聖書とつき合わせながら、僕の生き方はこれでいいんだろうか。人生はどう生きるべきなのか考える場所として用意されているのです。
そして異なる個性と生活を共にすることを通して人生目標を見つめ直すのです。密室にこもって一人でじっと考えたいという人は塾に相応しくありません。そうではなくて生活習慣、価値観、文化の異なる個性の中で、どう生きるか考えるのです。
それから抽象的、哲学的に考えるのではなくて、地域社会の中で考えます。隣にお百姓さんがいます。そういう人たちとの共同生活がここに地域としてあります。地域社会から隔離された山のてっぺんとか隠れ家で考えるのではありません。ここは地域社会に開かれていて、人間交流があります。「おはようございます」「手伝いましょうか」という交わりがある中で、人間はどうやって生きたらいいかを考えます。
それからこの時代を無視しないで、この時代の中で考えるのです。人間はどうやって生きたらいいんだろう。私は何をして一生を送ればいいのかな?ということを抽象的ではなく、具体的に今、という時の中で考えるのです。
そして最後に、この荒波に出て行きます。ここは無風地区だから死ぬまでここにいさせて下さい、ではありません。「あんたは出て行くんだよ、直ったんだから。修理が終わった、人生目標も新しく設定できた。みんな応援しているから出て行きなさい」と言われて、最終的には出航するのです。そうして荒波に遭ってひっくり返ったらまた帰ってきたらいいのです。そうしたらまた修理します。
いいですね、ここは一生いる場所ではありません。ここは通過する場所です。
スタッフはそれとは違います。スタッフが通過して行ったら塾に誰もいなくなってしまいますから。スタッフは人間ドッグで待ち構えている。「お、また来たか。今度はどうしたの?」と。それで一緒に考える、そういう立場です。
私たちは、こういう目標でここに留まる人を歓迎します。心から歓迎します。いらっしゃい、いらっしゃい、いつでも協力しますよ。この方針に従ってくだされば私たちはあなたの味方です。あなたが元気になるためにどんなことでもしますよ。そういう場所なのです。
初心に帰って、もう一度ねじを巻きなおして頑張ってみたいと思います。