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惠泉塾前史~札幌キリスト召団の新事業

我が家の敷地内に祈りの家の新築工事が始まり、基礎コンクリートが打ち込まれた。新築部分は年内にできあがる予定だ。それから改築工事を始め、来春にはオープンできるだろう。

札幌キリスト召団の新事業が始まる。主なる神は私たちの「練清め」を始められた。この困難な事業を担い得るために、私達はもっともっと砕かれて謙遜にさせられなければならない。人を愛せない自分、人を赦せない自分、相手の非を攻撃し自分の正しさばかりを主張したくなる自分が徹底的に打ち砕かれなければこの事業はできない。

弱々しくすがりついて来る人を受け入れるのは難しくない。その人が力を取り戻し、自分に反論し自分を批判し自分に敵する行為を始めたとき、また彼の中に赦し難い非を見いだしたとき、その彼を受け入れるのが難しい。

しかし、その時こそキリストの愛が我がうちに生きていまし給うか否かが問われる。「私があなたがたを愛した愛をもって互いに愛し合いなさい。」との主の戒めはこの時こそ力をもって私達に迫って来る。

弟子たちは如何に主イエスに対して無理解だっただろう。それを主はどんなに悲しまれたことだろう。人々は自分が助けを必要としたときイエスを利用し、目障りになったとき殺した。弟子たちは災いの類が及ぶのを恐れ、主を見捨てて逃げ出した。主はその全てを赦し、受け入れ、愛して下さった。その愛をもって互いに愛し合いなさい。そうでなければこの世の中には永遠に争いが絶えず、平和は来ない、と主は言われる。

十字架を前にして主は奴隷のように弟子たちの足を洗って下さって、こう言われた。「主であり師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合いなさい。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように。」

謙遜に主の試練を迎え入れよう。苦しみを通してでなければ私達が練り清められることはないのだから。主にある兄弟姉妹の中に、まずこの主の戒めを実現させたいものだ。同じ主に救われ、育てられた兄弟姉妹が、互いに理解し、受け入れ合うことができずに、どうして価値観の異なる外なる人を受け入れることができるだろう。

主よ、我らを憐み給え。