「木々のこずえに柔らかな若葉が芽吹き、水温み、風薫る季節になりました。日陰には泥に汚れた雪がまだ残
っていますが、明るい日差しの中は、もうすっかり春です。皆様、いかがお暮らしですか。私たち札幌キリスト召団は、初めて受難週に洗足式を行い、十字架の日には断食して主の御苦しみをいささか味わわせていただき、主の御復活を喜び迎えました。何もかもが新鮮な感動で、キリストの教えが肌を伝って染み込んで来ました。」 これは、1993年4月に発行された週刊「聖翼の蔭」に添えられた水谷先生の文章です。 1982年に札幌キリスト召団が設立され、その半年後に終末を啓示された水谷先生は、高校教師をしながら無教会的家庭集会を続けておられました。1988年、「洗礼を授けるように。聖餐式を行うように」との再びの啓示を受けてからは、洗礼と聖餐式の奥義を教えられ、無教会から脱して教会化の道を歩まれます。こうして札幌召団は内村鑑三の流れをくみながら、内村鑑三とは異なる、愛の生活共同体を有する実践的なグループへと成長しました。 この群れに開示された福音は、無教会とも、また他の教会教派のものとも違います。私たちはこの信仰を告白し、明らかにするために存在するのです。愛の実りを世に示して見せるために、生かされているのです。初めに紹介したように、生活実践と結びついた教会活動を推進する途上、22年前に洗足式が始められました。そして2年後、みたびの啓示によって水谷先生は「人生の波止場づくり(惠泉塾)」を示されたのです。 今年も3月29日に洗足式、4月5日にイースター記念礼拝が行われます。人間の「自己中心」を「神中心」に変える仕事、それはイエス様にしかできません。私たちはただ汚れた足を差し出してイエス様に洗っていただく存在でしかないのです。自分の臭いを出さず、相手を生かす爽やかな生き方をするためにどうすべきか? みんなが足を洗い合い、弱さをさらけ出して補い合える仲間づくりこそ、本当の幸せではないかと聖書は教えます。 足を洗うことを通して実は、心のありよう、人間の生き方、本当の幸せを教えられているのです。神様のなさりようはいつも私たちの理解を越えており、想像することさえできません。この群れの20年、30年の歴史を振り返るだけで、どんなに予想もつかない出来事が起こったか…、造物主の前にただ頭を垂れるしかない私たちです。