これから伝道者として派遣される方々にとって大切な伝道者の心得を七項目お話します。
一つは真理の解説ではなく愛の実践でキリストの道を示すべきであること。
どうしても「話すこと」で伝えようとしがちですが、書斎にこもってお勉強するのではなく、野に出て愛の実践をし、キリストはこのように生きることを期待しているんだ、という実際を見せる。これが一番大切なことです。
二つ目、自分の話したい内容よりも相手の聞きたい内容を重視する。
自分が伝えたいことではなく相手の知りたいことを教える。ややともすると自分の言いたいことを一生懸命に話してしまう。するとそれは“押し付け”になり「そういうことは聞きたくない」と言われてしまう。そして「こういうことについてはどうなんだ?」という相手の聞きたいことに対しては準備がない、それではダメです。自分が伝えたいことではなく相手の知りたいと思っていることについて語るべきです。
三つ目、受けるより与えることが幸いである。
自給自足を目指せ。人間の献金に頼ってはいけません。貧しい中にあっても隣人を富ませれば、神が自分の不足を補い給う。そのことによって神の愛がより一層深く実感できるのです。人間に助けてもらうと、神様の素晴らしさというのは実は分かりません。あの人は人情家だとか頼りになる、などと人間について分かるだけで神の本当の力強さは分からないのです。
四つ目、自分のことは祈るな。救われるべき友のために祈れ。
あれして下さい、これして下さい。あれが足りません、これが足りませんと自分のことばかりを祈る人が多いのですが、伝道者でそういう祈りをしている人は最悪です。自分のことは神に任せよ。そして救われるべき罪人のために執り成し祈るべきです。
五つ目、真理探究のための聖書研究は卒業して、愛の実践のための聖書理解に励め。
伝道者になってもまだ一生懸命書斎に籠って聖書研究している人がいますけれど、そういう時代はもう終わったんです。伝道者でありながら書斎人であるということは、札幌キリスト召団では考えられません。愛の実践のために役立つ聖書理解だけが大事なんだ。聖書どおりに生きてみろ。書斎はもういらない。
六つ目、長生きしようと思うな。短くとも真実な証人の生涯であれ。
神の僕はだらだらと長く生きても仕様がないんだ。本当に衝撃的な、世の人々に強い影響力があるような短い生涯がいい。夏目漱石は東京大学の先生をしている時に「生ぬるい一杯のビールより一滴の舌を焼くアルコールを」と書きました。ウォッカのような舌を焼くアルコール一滴でいい。生ぬるいビールはどんなに飲んだって本当に飲んだ感じがしない。人生も同じだ。ピエール・ロチという船乗りが夜空を彩る江戸の花火を見て「人生はあのようでありたい」と言った。バーッと大きく咲いて、消える。だらだらと線香花火をやっていたんじゃダメ。長生きしようと思うな。短くても真実な証人の生涯であれ。
最後、世俗の論法に妥協するな。貪欲と愛は一致できない。
貪欲というのは自己愛、自分を大切にする思いです。隣人愛と自己愛は同居できない。相手のことを大切に思えば、自分のことをかなぐり捨てる以外ないのです。伝道者として立とうと思えば、その信条は必要不可欠だ。それができないようなら伝道は止めたほうがいい。この世でのんびり暮らす方がその人に合っていると思う。神に呼ばれたのでない限り、私たちには選択の自由がある。僕には選択の余地はない。神に呼ばれたので、選びようがないからだ。しかし、多くの人はまだ呼ばれていません。自分でより良い人生を選択することができます。もし自発的に伝道者の人生を選択するのであれば、長生きすることを断念せねばならない。それが彼らに必要な決意です。
みなさんは、そういう人に守られて今日も生きている。いいですか。一人の人が神と地上との間の管になれば、その傘の下にたくさんの人が憩うことができるのです。伝道者はその管となるために野に出て行くのです。伝道者が傘の下にいてはダメです。そういう気概を持って、もしこれから伝道したいという志を持つ人がいたら、それはすばらしいことです。神様の為に是非頑張っていただきたいと思います。