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惠泉塾卒塾20年の歩み ~丹波の宿 恵泉 細川和俊さんの証言より~

 

一 浦島太郎になった私

 

神様によって水谷先生と惠泉塾に出会わせていただいて今年で20年になります。20年前、2002年に体験入塾し、翌年余市惠泉塾に入塾、卒塾後、川崎惠泉塾1年、丹波の宿恵泉7年、中国小麦粉料理専門店惠泉4年、余市の秘書室 2年、そして再び丹波の宿恵泉で働かせていただき、丸4年が過ぎました。

振り返ると疾風怒濤の4年間でした。6年ぶりに再赴任した丹波ですが、当初は浦島太郎になったような気分でした。毎年草刈りに苦労していた隣の広い空地には立派なお風呂が建てられ、その隣にも立派な建物が建って丹波惠泉塾がオープニングを迎えようとしていました。国道沿いの西洋風の結婚式場は私たちの教会に変わっていました。神の国づくりを拡大される神様の御業に目を見開かずにはいられませんでした。

再派遣1年目は以前やっていた仕事とはいえ6年のブランクがあり、忘れていることも多々ありました。しかし、かつて私が仕事を教えた後藤暁生さんが今度は逆に私に仕事を教えてくれ、千葉に異動する際、私が仕事の引継ぎをした坂口いのりさんが責任者となっていて慣れない私をフォローしてくれ、仲間との愛し合う空気の中で仕事を思い出し、あっという間に1年が過ぎました。

2年目はゴールデンウィークが平成から令和への改元のため9連休となりました。9日中7日が11室満室となり、多くのお助け隊に支えられながら早朝から夜遅くまで無我夢中で働き、9日間最後までやり切ったことも良い思い出です。

3年目を迎えた年の初め、百合惠さんの急病で毎月の牧師コースが突然中止、先生の丹波滞在も中止となりました。セミナーが中止になると宿の収入も減ります。それを挽回するため2月初旬、歓送迎会にレストランを利用してもらおうと訪問営業を始めたのですが、それも束の間、この頃からコロナ感染が拡大し始め、お誘いをかける雰囲気ではなくなりました。

 

二 コロナ禍でもピンチはチャンス

 

それからますますコロナが拡大し、4月に入ってからは宿の営業自粛という開業以来、初めての事態に発展しました。が、神様は伝道旅行中止、営業自粛というダブルピンチも益に変えてくださり、オンラインでの学びが始まり、毎朝霊の糧を豊かに与えてくださいました。当時はヨブ記を学び、神様は連日「全ては御手の中で起こっている。全てを現状肯定し、どこまでも神を信頼せよ。神のために生きよ」と語りかけ、魂を鼓舞し続けてくださいました。

営業再開に向けて自粛中だからできることを考え、地元の方へのお弁当販売、普段できない徹底掃除、接客やマナーの勉強などに取り組みました。6月に入り、営業が再開されたときの感動は一潮でした。GOTOトラベルにも参画したので、夏からお客様が増えて年末まではとても忙しく働きました。

チェックイン開始後は厨房の人材不足のため、フロントの坂口さんが厨房へ、レストランの私がフロントへ、レストランは後藤さんリーダーの下で今井良さん、長谷川賢さんで切り盛りするという、全く余裕のないぎりぎりのところでの営業でしたが、水谷先生の口を通してこれがベストコンディションだ!とおっしゃる神様が与えてくださった感謝な1年でした。確かに神様は不足だらけの私たちを補ってくださり、多くのお客様がインターネットの口コミにも良い感想を寄せてくださったのです。

あるとき、フロントにいた私に、夕食をすませて戻られた若い女性客から「私も接客の仕事をしていますが、レストランで見た男性のひたむきさに感動しました。こんなに一生懸命仕事に取り組んだことがあっただろうか、と自分の姿勢を反省しました」と、突然言われて驚いたことがあります。その男性とは今井良さんです。言葉はスムーズでなく、手早いとも言えないが、手を抜かず誠実に接客する今井さんに却って好感を持ち、応援したくなるという、こういう客がたくさんいます。彼は丹波に来て丸10年、忍耐を重ねて今年、職業訓練生から職員へと昇格しました。

年が明けて4年目、再びコロナが拡大し始め、またしても緊急事態宣言が発令されました。しかし、水谷先生はこのようなときこそ与えられた時間を「人格陶冶」に励みなさいとおっしゃいます。

その一環として6月から、食後にスタッフで「感動エピソード」の時間をもつことを始めました。自分が体験したことや、本、新聞、ネット記事等の感動エピソードを毎日一人ずつ話して感動を分かち合うのです。始めてみると皆、今までに聞いたことのなかった感動体験を持っており、その人の知らない一面を知ることができたり、関心を向けたことのない分野の話を聞いて知らない世界を知ることができたり、回を重ねるごとにとても楽しい時間となりました。自分の体験もそれを仲間に紹介することで再び当時を思い出し、感動がよみがえってきます。また、何か感動することはないかな?とアンテナを張り巡らすことで、心の倉を常に良いもので満たすことができました。

 

三 愛し合えない職場は営業停止

 

秋になるとまたコロナが減少し、客が増えて忙しい日々となりました。年末には新しい仲間を迎えて年末年始の忙しい日々を乗り越えたのですが、年が明けて彼女をつまずかせてしまう出来事があり、水谷先生から「愛し合えない職場は営業停止、0から愛し合うことをせよ!」との指示が下りました。彼女によると、皆とても一生懸命頑張っているが、しんどそう、楽しそうには見えないとのこと。確かに年末年始など繁忙期は目の前の仕事に目一杯で分業化し、皆で一緒の食事作りもできず、自分の持ち場を守ることに精一杯でした。食卓での団らんの時間もままならず、生活より断然仕事が優先されていました。

営業を停止して原点に戻り、信仰・生活・仕事の順位を守ることを決めました。惠泉塾では当たり前のことですが、皆で食事作り、皆で掃除、皆で作業、と一日中、皆で一つのことをする毎日を始めました。すると、生活が回復し、今まで感じたことのなかった一体感が生まれ、愛し合う空気が増しました。

2月、今まで丹波惠泉塾に宿泊されていた水谷先生ご夫妻が、今回は丹波の宿に泊まってくださり、共に朝食を作って食卓を囲みました。これは私が丹波に再派遣されてから初めてのことです。味噌汁の作り方、割当を決めず自主的に仕事を見つける働き方も指導してくださいました。食卓ではデボーションで学んだことを分かち合い、質問に答えてくださり、愛し合う空気の流れる楽しい和やかな時間を過ごすことができました。

 

四 神の国の原理で勝利する

 

これらの経験を踏まえて、宿の働き方改革が始まりました。客がいるときは難しいこともありますが、なるべく皆一緒に食事作りや掃除をすることにしました。また、分業ではなく協力して仕事をするため「愛し合える量」しか客を取らないことにしました。たとえ客の数を減らしてでも愛し合って仕事をすれば、別の形で神様は必要を満たしてくださると信じての改革です。

まだ改革途上ですが、スタッフ同士が互いに愛し合おうとする中に神様は働いてくださり、繰り返し宿泊してくださるお客様が増えていますし、全国の仲間からの贈り物も途絶えることがありません。この世の経済原理とは全く違う、神の国の原理で勝利することが私たちの仕事です。これからもますます神様を信頼し、主が共にいてくださる!と実感できる日々を重ねていきます。